大人になれない。

出来事や思ったことを自由気ままに。

あの頃に戻れないと思うこと

 

1月に引っ越しをして、あっという間に5か月が経とうとしている。

相変わらず私に居場所はない。

慣れてきた街並み、慣れてきた道、慣れてきた生活環境。

だけど自分のものになった気がしない。

いつまで経ってもここは私の知らない土地だと感じる。

 

ふいに無性に寂しくなる。

寂しくなったって助けてくれる人はいない。

淡々と環境に適応しながらも心はいつまで経っても置いてけぼり。

私は一人なんだと感じる。

 

理由とか原因がハッキリわかればいいけれど、それすらもわからずただ悲しくなったり寂しくなったり虚無感を覚えたりする。

ふとした瞬間に何気ないきっかけで寂しくなる。

 

たまたま入ったショッピングモールにヴィレッジヴァンガードがあって、久しぶりに覗いてみた。

無性にワクワクして心がときめく、私が大好きだった店。

高校のころ、散々通っていた店。

クリエイターたちが「私の作品を見て!」って叫んでいるような店内。

絵だったり文だったり音楽だったり。

私も作り手になれるような才能が欲しかった。

私も何かを発信して生きてみたかった。

そしたら世界との、社会との繋がりが今よりも少し強くなって、こんな寂しい思いはしなかったのかもしれない。

本当のところどうなのかは知らないけれど。

思っているだけで挑戦すらしていない時点で私にはそれ以上語る権利はないと思ってる。

 

ただあの頃のときめくような毎日が少し羨ましいだけ。

 

私は少しずつ壊れてきているような気がする。

もちろん「気がする」のであって、本当は全然壊れていないかもしれない。

もしかすると「気がする」と思い込むことによって、壊れようとしているのかもしれない。

「病は気から」っていうしね。

 

11月に仕事を辞めてから、家にいる時間が増えた。

もちろん買い物には行くし、たまに夫と外食にも行く。

でも基本的には家で1人でいる時間が多い。

二度寝したり、読書をしたり、動画を見たり、求人情報とにらめっこしたり。

いろんな場所へ出かけたいけど、収入がない今の私の1番の節約はお金を使わないこと。

コロナのせいで気軽に地元へ帰ることも躊躇われる。

最後に友達と会って遊んだのは3月。

直接会って話せる相手は夫しかいない。

今、私の世界は昔と比べてとても小さくなっている。

 

引っ越し先に友達はいない。

私が直接会って話すことができるのは夫しかいない。

でも夫に不満があったときにはどうしたらいい?

私だって人間だもの、機嫌が悪い時も具合が悪い時も、話したくないときもある。

それでも私の世界はとても小さいから、黙って嘘つくしかない。

「寂しい」なんて言えない。だって理由が自分でもわからないもの。

「帰りたい」なんて言えない。困らせるだけだもの。

誰かにすべてをぶちまけたい衝動に駆られる。

そして受け止めてほしい。傲慢かもしれないけど。

 

中学、高校、大学生のころのように、友達と丸一日だべってみたい。

近況報告から始まり、恋バナ、愚痴、秘密、いろんなことについて話したい。

あの頃のキャピキャピしていた自分にもう一度会いたい。

久しぶりに行ったヴィレヴァンに対して「懐かしい」と思ってしまったことが、なんとなく寂しく感じた。

懐かしいんだ。もうそれだけの時が経ってしまったんだ。

少なくともヴィレヴァンに通っていたあの頃より、私の中でヴィレヴァンに対する思いが少なくなってしまっていたことが寂しい。

あのときめくような思いを忘れていた。

自分の中の重要項目から少しずつ薄れてしまったいたことが寂しく感じる。

 

歳をとるってこういうことなのかもしれない。

新たな知識を得るためには昔の記憶は失われるし、自分の年齢や立場に応じて重要事項が否応なしに変化していく。

抗えない。

 

そんな自分の中の変化に気づいたときに寂しく感じる。

「あの頃に戻れない」

結局は全部これなんじゃないかと思う。

キャピキャピしていた若い頃に、まだ恋人関係でドキドキしていたあの頃に、自分には何か秘めたる力があると思っていたあの頃に。

 

 

もう戻れない。

 

 

その事実がただ静かに心を支配して、少し寂しく、切なくする。