昔のことを余り思い出さなくなったのは一人でいる時間が少なくなったからだと気づいた。
先週夫が出張で3日くらい留守にしていた。
ひとり暮らしにしては広すぎる部屋で過ごす時間。
それはいつも一人で過ごす時間とは異なっていた。
今日は帰ってこない。
二人でいることに慣れてしまっていた私にとって、それはそれは長すぎる一人の時間だった。
最初に思い出したのはひとり暮らしをしていた頃の事。
次に思い出したのは新卒で働いていた頃の事。
あの頃の私は本当に死にたいちゃんだった。
今なら笑いながら話せることだけど、当時の私にとっては切実で、笑えなかった。
窓口の先輩社員には辛くあたられ、無視もされた。
共済担当の女性社員もキツくって、こっちを向いて話をしてくれたことなかった。
所長はいつも怒っていて、誰かを睨みながらコソコソと課長と文句を言い合っている。
1個上の先輩はよく所長に怒鳴られてた。
鳴り止まない電話にため息と苛立ちを隠せない社員。
いつも忙しそうなお世話係。
私だけが浮いた存在だった。
私の出来が悪いからとか、もっと頑張っていれば改善されたかもしれないと今なら思うけど、それは「今」思うこと。
当時の私にそんな気力はなかった。
毎日怯えながら働く。
息を潜めて、誰の迷惑にもならないように働く。
周りの同期が生き生きと働いている様子を見て、さらにどん底に落ちた。
この苦しさを分かち合うことはできない。
新卒で入った会社だ。
すぐになんて辞められない。
自分で自分の首をしめているような感覚だった。
仕事を辞めたいから死にたいへと進化した。
毎日お腹は痛いし、出勤前は心臓がバクバクしてそのまま過呼吸になってしまいそうだった。
休みの日も無気力になった。
ただ出勤日までのカウントダウンをして休みが終わる。
最後にちゃんと笑ったのっていつだったっけ?
仕事の事を考えて涙するのはこれで何回目だろう?
死にたかった。
ただただ死んで楽になりたかった。
働きたくなかった。
あそこに行きたくなかった。
でも働くしかなかった。
辞められなかった。
辞められないのはどうしてだろう?
周りの目を気にしていたから?
経済的に生きることができなくなるから?
もう死にたいと思っているのに、経済的生きるために働くなんておかしい。
そう、私の心は壊れていたんだ。
壊れていたからなかなか気づけなかった。
辞めたいなら辞めればいい。
最低でも3年は同じところでなんて誰が決めたことなんだろう。
死にたいと思いながらも働き続けることに意味はあるのだろうか。
生きるために働く行為が、私を殺していくなんて本末転倒にもほどがある。
親の反対も押切って私は新卒で入った会社を1年で辞めた。
大学4年の頃。
私はちゃんと社会人をやれると思っていた。
3年はそこで働いて、そのうち結婚して子供が生まれて退職…なんて思っていた。
そんな妄想を自分で崩した。
私はたった1年で仕事を辞めた。
コロナ禍になって多くの人が職を失い、働き方を再検討する時代になる前の話。
私は世間から見たらたった1年で仕事を辞めたダメな子だ。
でも周りに何を言われようと私はあの時の決断を後悔していない。
だから今更思い出して、あの時もっと頑張っていれば違う未来があったかもしれないなんて1ミリも考えたくない。
あの時くだした決断は、あの時の私が一生懸命考えてだしたベストの決断だ。
あの頃と完全に同じ気持ちになんてなれない、美化された記憶を辿った今現在の私がとやかく言うことではない。
ただただあの頃の傷跡をなぞり、痛みを思い出し、慰めることしかできない。
どうか私のように死にたいと思いながらも働いている人達が救われますように。
未だに「働く」ことにトラウマを抱えているけど、私は「私らしく」働いています(とりあえずは)。
正社員じゃないし、この先どうなるかわからないけれど、今「死にたい」と思っていない人生を送れているので万々歳です。